過剰反応

先週は国勢調査に関する問題点やそれらから感じたネットでの情報についても書いた。

このような事象を考える時や調べる時は、ネットで検索を試みることも多いと思う。「ググる」という言葉も定着して久しいが、仕事でも私生活でもググらない日はない。

最近、少し気になることがある。
オリンピックエンブレムの問題にしろ何にしろ過剰に反応し過ぎではないかと感じるのは私だけだろうか。

あまり身近な現象ではないが、過剰な反応が高じて様々な「炎上」が発生していることもよく聞かれる。

過剰な反応のパターンとして、ある一つの一面的・感情的なコメントに対して、匿名の気軽さからか、それを見た人達は、普段の憂さを晴らすかのように累積していき、その感情的なマグマが大きくなると、その一面性が故に、歪められたものになりやすいように思う。

冷静に見ている人も、常識から逸脱しているなと直感的に感じても、一回頭に入ってしまうと、多様性を欠いた一面的な印象のみが残ってしまう。消し去るのは厄介だ。

もちろんネットの効用は言うに及ばず、インフラとしての影響力は益々高まっているし、 互いに監視する社会のようなものは、世の中にとって有益なことも多い。
それに加えて、過剰反応を見抜く感覚も拡がっているように思うし、そのようなネット利用の成熟には、ギスギスしない寛容さも備わって来ているのかもしれない。

世代や存在している環境によって、過剰反応するツボが違ってくるようにも思うが、安保法制の種々の一見常識的な一般に言われる話しにしても、自分の立場や目線でいいから地頭で考え発信し、異なる意見を受け入れる多様性を楽しむ必要性を感じている。
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夜の訪問者

先週珍しく夜の訪問者があった。
「コクゼイ・・・ですけど」
よく聞き取れない。
何かの勧誘だろうかと、嫌な感じを持ちつつエントラスの鍵を遠隔で解錠したが、なかなか部屋まで来ない。おかしいなと思いながら、玄関のドアを開けると、おじいちゃんが立っていた。

「コクゼイ調査」です。
よくよく訪問理由を聞いてみると、国勢調査の調査票を渡しに来たとのこと。

説明もしどろもどろだし、振る舞いも落ち着かない様子だが、確かに国勢調査であることは確認できた。

早速、国勢調査に関する問題が噴出している。不在の場合にポスティングされた調査票が、封の開いている状態で剥き出しになっており、調査票やネット回答用のIDやパスワードも抜き取れる状態だという。偽サイトやかたり調査での詐欺行為も発生しているようだ。

五年前の調査時は、不在時は何回も訪問して、必ず手渡しだったように記憶しているが、本当はどうだったのか定かでない。
なぜか今回も前回以前も高齢者による配布・回収が多いように思うが、そのせいかどうかは分からないが、手渡しからポスティングに変えたのだろうか。
確かに今のアパートは単身赴任者が多いので、全部手渡しは難しいのは確かだが、ポスティングの仕方や、封筒の中身の重要性を周知徹底させる必要はあるはずだ。

夜の訪問者を通して、この五年間で何が変わったのだろう。

調査票の配布・回収者の高齢化、運用方法の変更による新たな問題の発生、ネット回答の利便性と共に危険性の顕在化、個人情報取り扱いの重要性、それを標的にした詐欺行為、何か社会的な問題が発生した時のネットによる情報流通の速さ・・・等々

それにしても訪問して来たおじいちゃんは、無事に全て配り終わったのだろうか。

黒船到来

黒船到来とは少し大袈裟だが、動画配信で世界最大手の米ネットフリックスが、定額制動画配信サービスを2日から開始した。

米国では9割が有料放送を視聴しているそうで、無料テレビが当たり前の日本で浸透するのか疑問の声もあるようだが、独自製作のコンテンツ提供や自分の好みに合った番組の推奨機能が充実しているらしい。

私は日本テレビの子会社であるhuluに加入しているが、いくら何万のコンテンツがあると喧伝されても、自分が好んで観るのは限られたものだし、むしろ片寄った視聴を助ける推奨機能が望まれるが、ガッカリするほどチープだ。

幅広く加入させるにはコンテンツ数が多い方がいいのだろうが、継続して加入して貰うには、ネットフリックスの無料テレビにない独自製作のコンテンツと推奨機能の充実は、かなり期待できるかもしれない。

子供に聞くと、若者は視聴端末としてスマートフォン やタブレットが多いと言うが、衰えた視力にはウンザリだが、国内テレビメーカーの新製品のリモコンにはネットフリックスボタンが多く付いている。

ボタン一つで、無料コンテンツと有料コンテンツの融合が進み、幅広い選択肢が増え、容易に自分が視聴したいコンテンツに辿り着ければ 、テレビ購入とhuluからの切り替えを考えてみよう。

会議は踊る

先月読んだ「シンプルに考える」の中で「情報共有は必要ない」という提言があった。
そこで今回は会議について考えてみた。

会議を行う目的として、受け売りであるが、若干皮肉を込めて五つ挙げると以下のようである。

1つめは、意思決定の基準と権限の範囲が明確でないから・・・

2つめは、意思決定の影響範囲を正しく見積もれないから・・・

3つめは、情報共有を善とし、独断専行を悪とする文化があるから・・・

4つめは、俺は聞いていないと、へそを曲げる社員がいるから・・・

5つめは、一人で決定することで自分の責任が重くなるのを避けたいから・・・

全てを肯定したくはないが、当てはまる部分も少なくない。

グレーな部分はどうしても残ると思うが、権限が明確ならば 、各人が意思決定できるし、他部署の業務内容が分かっていれば、影響部分を計ってその部分だけ調整すれば良いし、不必要な情報過多から混乱を避けられるし、何より各人が会議での合意に依らず、意思表明すれば、その結果責任から逃れられない。

とは言うものの、外部、内部ともに環境は変化するし、制度面でも全て柔軟に対応できるものでない。当社の場合は制度面で明確にすべきことは多々あるが・・・

そのような状況の中で、少なくとも次の事は気を付けて会議を行っていこうと思う。
・会議のテーマと決めたいことを事前にハッキリとさせる
・会議のテーマに関連した人しか召集しない
・会議のテーマごとに時間を決めて、会議の時間割りを作る。
・合意形成のみに終わらず、決定する意思を強く持つ

いやはや何れも基本的なことだが、意識しなくても実行できるようにしたいが、そこは凡人ゆえ常に意識せねば・・・



シンプルに考える

久々に啓発本を手に取ってみた。

「あれも大事、これも大事」 と悩むのではなく、「何が本質なのか?」を徹底的に考える。 そして、本当に大切な1%に100%集中する。
シンプルに考えなければ、何も成し遂げることはできない 、というのが本書の主旨だ。

会社をうまく運営するにはどうやっていくのが一番良いのか、シンプルに考える。
「戦わない」
「ビジョンはいらない」
「計画はいらない」
「情報共有はしない」
「偉い人はいらない」
「成功は捨て続ける」
「差別化は狙わない」
・・・・
一般的な経営に関する指南書とは相反することばかりだ。

非常に明快で、明日から自分も生まれ変わってシンプルに考え、トントン拍子で事が進むような気がするが、なかなか継続出来るものではない。

「経営は管理ではない」とも言っているが、逆張りの視点で、本書で言っているように、「お客様に価値を提供することだけを考える」と、不必要や過剰なことは沢山見つかるだろう。lineがこれだけ成功したのも、逆張りの視点を徹底したからこそかもしれない。

一方で、○○管理やら△△監査、□□保証を通じて、対外的な信用力を得るために、ややもすると重層的なルールや手続きが必要となることも事実だ。

そのような現実的な対応の必要性を認めつつも、常に顧客志向でその必要性の意味を問わないと手段が目的化してしまい、深い迷路に入り込んでしまうだろう。

そのためにも本質的な事について、シンプルに考えていくことを忘れない信念なり癖は大事である。
プロフィール

あすなろ

Author:あすなろ
自動機・省力化機械の開発・設計・製造組立の天竜精機

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