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可謬主義(かびゅうしゅぎ)

sonnyです

過去の全体朝礼で経営品質向上研究会参加メンバーから
意識・思考・対話の話がありましたね。
旧行動指針にも「言えること、聞けること、相談すること」のフレーズがあり
こちらの「言えること、聞けること」はまさに対話を意味する部分ですね。

さてなぜ「対話」が重要なのか・・・それは「新しい気づき」のために必要なのですが・・・
世の中は日々進歩しています。何時までも今まで通りでは自分達の知識も技術もどんどん陳腐化していきますね。
お客様の望みも変化していきます。世の中の要求も変わっていきます。
そんな変化に最低限ついていかなくては会社も存続できないし
自分達の価値もどんどん低下していきますね。
そんな変化に気づくために・・・より良いアイデアや行動を起すためにも「気づき」が大切だ!
そんな話ではなかったでしょうか?

そんな「対話」ですが・・・最近ちょっと気になることは
やたらと自己主張していないか?
「言えること、聞けること」の言えることの部分だけが取り上げられていないか?
っということです。

先日こんな事を言っている方がいてちょっとがっかりしてしまったのですが・・・
「俺の希望が叶わないなら・・・俺はもう知らない!」
まさに自己主張のみで対話とはいえない状態。
何故こんな発言になってしまうんだろう?
まるで自分の意見だけが正しくて・・・他人の意見は無教養でバカだ!・・・
みたいに思っているんでしょうかね?

「対話」とは・・・「新しい気づき」を得るために大切なことなのですから
自分の意見を発言することと同時に相手の考えを理解しようとする姿勢や
そういう考え方もあるのか・・・
ひょっとしたら・・・自分の考えは間違っていなかったのか・・・
っと自分に問い直す場でもあるのではないでしょうか?

このような考え方はソクラテスやプラトンっといった古代の哲学者も同様の見解を述べていますし、
近代では科学哲学者カール・ホッパーが可謬主義(かびゅうしゅぎ)っという言葉であらわしています。
可謬主義(かびゅうしゅぎ)とは・・・
「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」
つまり自分が学んだ知識は絶対ではなく・・・誤りである可能性があると言うこと
いままで「正しい」ということが、ひょっとしたら間違っているかもしれない・・・
そう考え正せる事が大切だ!っということではないのでしょうか?

自分は正しいのだ!ではなく・・・相手の言っていることの方が正しいのではないか?
そう考えて・・・「新しい気づき」を得る。
「対話」とはこういうことなのではないでしょうか?
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自動機・省力化機械の開発・設計・製造組立の天竜精機

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