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胡蝶の夢

 いきなりだけど、皆さんは「出世」についてどう思っているかな。つい最近、とある若者から「西山さん、僕は出世したいんです!」って、言われたんだよね。僕は「それで・・」となぜ出世したいのか、出世してどうするのか聞いてみたんだけれど、なかなかその若者の人生観が出ていて面白かったよ。以前にもそんな同僚がいて、彼の場合は卑屈なまでに上司に服従する姿に部下から疑問を持たれていたんだけれど、本人にそこまで出世にこだわる理由を聞いてみると結構納得できるものがあったりするんだよね。

 さて、いきなりこんな話をしてみたくなった理由は、「荘子と遊ぶ」(筑摩選書)を読んで、荘子の考え方に触れてみたからなんだよね。荘子はあまりなじみがないかも知れないけれど、世界史を習った人ならば中国史で老荘思想という言葉は習った記憶があるんじゃないかな。以前、「老子の言葉」(経済界)を読んでいるので、今度は荘子だなと思っていたんだよね。副題に「禅的思想の源流へ」とあるとおり、著者である臨済宗の住職が禅の考え方と重ね合わせて書いた著書なので、推して知るべしの内容だけれどなかなか面白い内容の本だよ。

 荘子というと天命を受容するというところが一つの大命題となることから、世界における政治・軍事・経済的役割を積極的に拡大していこうとしている現代の中国では今ひとつ人気は無いようだけれど、決してすべてを受動的に生きよと言っているのとは違うと思うんだよね。例えば、題に掲げた「胡蝶の夢」の話。ある人が夢を見た。夢の中で自分は蝶になって花々を飛び交っていたのだが、目を覚まして「ああ夢をみていたのか。」と人間である自分を再確認するわけだけれど、果たして本当にそうなのだろうか。僕らはつい安定的な方が現実で、そこから外れた方を夢と考えるわけだが、荘子は違うのではないかと言う。人間の姿をしている我々も蝶の我々が見ている夢かも知れない。むしろ、万物は変化する中でそれぞれがその時々の姿と考えた方が良いというのだ。

 禅宗においては人の一生を「大夢」と呼び、輪廻転生の仏教観の中において一生を幻のようなもの、あるいは夢としてとらえているわけだけれど、次の世界があるからこそ現世の苦しみや苦労を受け入れ、更なる成長を現世の中で成し遂げようと思えるんじゃないかと著者(≒荘子)は言うんだね。人は年齢を重ねる中で「出世」がかなえられなかったり、定年までもう何年だとなった際、苦労と向き合うのをやめてしまったりするわけだけれど、荘子の言うような大きな天命を受け入れたならば、次の姿の自分に向けた前向きなエネルギーも沸いてくるのではないかということだね。現世の次の自分のために老後を更に前向きに生きていく、なんか壮大な夢を感じないかい。以上
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