スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ある経営者の死

  今日、お取引先の社長のご葬儀があり、参列して来ました。ご葬儀が始まるまでの間少し時間があり、「経営者の死」ということについていろいろと過去の出来事を思い出してしまいました。仕事柄、経営者の皆さんと向き合うことが多かったわけですが、何度か現役のまま経営者が亡くなるという悲しい事態を経験することになりました。その中でもある精密部品メーカーの社長さんとの思い出は簡単なエピソードですが、私にとっては「死を受け入れる」ということについて改めて深く考えさせられたものでした。

 その企業は県内の精密部品メーカーで、規模は当社と同じ程度の先でした。戦後お父様が創業されて二代目の社長でしたが、工学部を出られて技術開発に非常に熱心な方でしたね。生産設備はすべて社長が自ら考案するほど生産性の向上についても厳しく追求されていた方で、外部の私には優しい顔で経営について語る一方で社内には厳しい社長だったようです。

 そんな社長がある時ガンであることを医師から宣告されてしまったわけです。今ではガンも完治を十分期待できる病気となりましたが、当時の医療技術ではガンの宣告はある意味「死の宣告」と同じものだったと思います。精神的にも強かった社長は心の動揺を見せませんでしたが、日に日に顔色が冴えなくなり入院治療をすることになりました。当時社長はある上場株式を借入金で購入しており、含み損を抱えていることもあって6カ月間の返済期日が来る度に私のところで期限延長の手続きをしていました。

 社長の入院からしばらくしてまたその期限がやって来て、社長は入院先の病院から返済期限の延長手続きに来店してくれました。しばらく会社の状況について話を聞かせてもらってから「では期限延長の手続きに入りましょうか。」ということになったわけですが、そこで社長は黙って考え込んでしまいました。私も黙って社長の判断を待ちました。沈黙の時間が流れました。確か今日と同じ暑い夏の日だったと思います。やがて社長が口を開いて「株を処分して返済します。」と静かに言いました。社長の顔は決して晴れ晴れとしたものではなかったけれども、悲嘆や苦悶に満ちたものでもなく、淡々とした表情だったように記憶しています。

 「今、株を処分しようとすれば損が出てしまうが、このまま借金を残してもし自分が死んでしまえば家族に面倒をかけることになる。でも一方で、ここで株を処分して借金を返すということは、自分はもう死ぬんだということを認めることになる。この現実を自分として受け入れられるのか?」 社長は私の前でそんな葛藤と戦っていたように見えました。そして心の整理をつけられたのです。「人はいつか必ず死ぬという不条理の下で今日を生きているわけだけれど、死が現実のものとなる時にそれとどう向き合い、それを受け入れることができるのか?」 K社長との夏のあの日を思い出す度に私は自問することになるのです。以上
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

あすなろ

Author:あすなろ
自動機・省力化機械の開発・設計・製造組立の天竜精機

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
フリーエリア
最新トラックバック
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。